ヒトの健康は心とカラダのバランスです
長い間、医療に関わっていると人の健康とは単に医学生理学だけの問題ではないことがしみじみと理解できるようになります。例えば、いつも言いますように、病気でないことが健康であるとは言えないからです。私どもの治療院へお越しになる方々のうちかなりの頻度で「病院では病気が見つからないから健康だと言われるけれど納得がいかない」と訴えられます。気のせいだと言われても本人は結果に満足できないのです。
ここでいう健康という定義において、東洋医学と西洋医学とでは基本的な差異があるのです。つまり東洋医学では健康という語義に医学生理学の他の要素、つまり精神性と霊性とを含めています。日本語でいうと何か怖い意味を含むような感じがしますが、精神性と霊性とは近頃の言葉ではスピリチュアルとでも置き換えられるものでしょうね。
このスピリチュアルな体験は何も東洋医学だけのもではなく、音楽の世界ではよくあります。例えば、「ステージの神様が降りてくる」と言います。
随分と前のことですが、小学校四年生の男の子が、ピアノの発表会である曲を弾いたのです。確かに上手には引いたのですが、それ以上に聴衆に与えたインパクトは、ある種の感動としてほぼ全員が共有できたのです。とても四年生の音楽ではありませんでした。あとで録音を聞く限り確かに小学生の幼さが残るまあまあ上手な演奏ですが、実際のステージを生で聴いた時は本当に驚きました。スピードと言い、間と言い、指使いと言い、抑揚と言いとてもいい曲に仕上がっていたのです。小学生でもこんなに弾けるのかと思いました。年と共にこの少年は上手になりましたが、あのステージの感動は再現できませんね。やはり神様の存在としか言いようのないものです。
話を東洋医学に戻しますと、「気の医学」ですので、”現代科学”から言いますともともと胡散臭い医学なのです。ネイティヴ・アメリカンの呪術師やヴードゥの呪い師と同じ、超自然的(自然の法則などを超えた)方法で病気を治すと思われています。気功療法などがそうでしょうね。
でも、東洋哲学からすると宇宙そのものが「気」から出来ています。そしてその「気」は陰と陽とから出来ているのです。確かに西洋科学でもプラスとマイナスの発想はあるのですが、二つの要素の関係が東洋と西洋では異なります。まず西洋ではプラスとマイナスは独立した関係で単独に存在します。本体がプラスだけであったりマイナスだけであったりしてもおかしくはないのです。でも東洋では単独に存在しません。もし片方がなくなればそれは本体の消滅を意味します。そういった「陰陽の気」のバランスを考えた医学なのです。
つまり、健康(極だとすると)を中心にすれば肉体が陰だとすると、スピリチュアルなものが陽であり、両方のバランで健康が決まり、片方だけでは健康が存在しないのです。さあどうでしょう、みなさん。西洋医学と東洋医学、どちらが健康に対して正論なのでしょう。