赤ちゃんがやって来てくれたお話(その3)

もう随分と昔のことになります。だからこのお話、ご本人たちの了解を得ていませんがもう時効でしょう。で・・・お話しましょう。

奥様が30代前半、ご主人が20代後半のカップルが当院で安胎(不妊)治療にお越しになりました。奥様の体の冷えが気になりましたが、このカップルの特徴が興味を引きます。ご主人が数歳年下ですが、奥様の方が体格がいいのです。「蚤の夫婦」とまではいかないのですが、奥様の恰幅の良さに比べご主人が貧相に見えました。でもこのご主人、とても甲斐甲斐しく奥様の面倒を見るのです。治療のスケジュールやご自宅でのセルフケアなど細々としたことをきちんとおやりになります。それもとても生き生きと楽しそうになさるのです。びっくりしました。

当時の安胎治療ではみなさんにヒネリモグサ(指先でコヨリを寄るようにモグサをヒネリ、お線香で点火してすえるお灸)を覚えていただき、家で三陰交などにお灸をしていただいていたのですが、奥様が自分でお灸をすえるのではなくほとんどご主人が熱心に楽しそうに奥様にすえるのです。手足のツボにまた腰・背中のツボに本当に丁寧にしっかりとやって見えました。お二人を拝見していると年上の女房をまるで小さな子供に接しているようにご主人が世話をなさっていました。

その甲斐があったのでしょうか、6月初旬に初めてお越しになって8月の末には妊娠のご報告を受けた次第です。そこで考えるのです。赤ちゃんを授かるということは、やはり基本的なことが不可欠なのですね。
ご夫婦が本当に仲が良いということは基本中の基本です。

たんぽぽ鍼灸院の治療を全て公開するという意味

鍼灸師とははり師ときゅう師という二つの医療従事者の国家資格を合わせもつ人を言います。資格を取るには3年間の養成機関(養成所、専門学校、短大、大学など)での専門教育を受けた後、国家試験をパスしなくてはなりません。

私が資格をとった頃、福岡県内には視力の障害がある方達だけが利用できる養成所がありました。目が見える私を引き受けてくれる地へ行く必要があります。私が行った養成所は東京にありました。当時私の住んでいた東京には4〜5校ありました。そして夜間に通いました。とても楽しかった思い出があります。

ところが資格を取ってもすぐに開業して治療ができるはずがありません。当然に、就職してインターンをしながら腕を磨くのです。私の同期で無事インターンを見つけることができたのは一握りの者たちだけです。振り返ると本当に私はラッキーでした。大半の者たちは、整骨院に勤めてちょっとだけはりを打たせてもらったり、整形外科に勤めていたりでした。

私が修行を終えて福岡に帰って数年後、全国で初めて数十年ぶりに鍼灸の専門学校が開校しました。「たんぽぽ鍼灸院」も順調に忙しくなったので、学生さんがアルバイトに鍼灸学校から来ていただきました。それでも2〜3しか雇えません。一般に鍼灸院は零細です。他人を雇う余裕などはありません。

現在では福岡市に3校、県内にまだ2校、佐賀県の鳥栖市に1校の鍼灸専門学校ができました。毎年大量に出てくる鍼灸師が腕を磨くために働くことができる場所はそんなにないのです。つまり今でも私の時と同じです。多くの若手鍼灸師が意にそぐわぬ整骨院や病院に勤めるのです。

そこでなんとか夢を持ってやって来た若い鍼灸師たちに技術を伝えられないかと思っていた時に始めたのが鍼灸臨床の勉強会「先人の知恵に学ぶ会」でした。テーマは「たんぽぽ鍼灸院での治療を全て公開する」というものです。整骨院に勤めながらでも、整形外科に勤めながらでも実際の鍼灸院の臨床現場を覗けるというものです。

そしていつの間にか早いもので10年も経ちました。多くの若い人たちが集まってくれました。若い人たちと混じっているとやはり楽しいものです。現在、私が横山卓先生の日本ネッシン協会の九州支部を引き受けているのも、若い人たちを育てたいとう横山先生の思いに賛同し、またとても簡単でシステマチックな治療で、習得しやすく、広げたいと思ったからです。

どうです皆さん、なぜ私が私の治療法を公開したいと思っているかお分かりになりましたか。

赤ちゃんがやって来てくれたお話(その2)

Aさんは国際結婚です。
ご主人は何歳か年下のA国出身の方で、本国の大学の修士論文を書きながら日本で英語を教えられていました。

一方、ご夫婦は自然妊娠を望まれていましたが、結婚後もなかなか子宝に恵まれないのです。それでたんぽぽ鍼灸院で1年ほど不妊治療を続けました。それでもなかなか望む結果を得ることができず、とうとう治療を中止されました。

その後1年近くを経過した頃でしょうか、突然にAさんから診て頂きたいとお電話を頂きました。以下は、その時Aさんが語ってくれたことです。

主人もそろそろ論文を書き終え、本国へ帰国する準備に取り掛かり始めております。また私も今年で三十路を超えてしまいます。
焦った私たちは自然妊娠を諦めて高度生殖医療に頼ることを決心しました。
Kクリニックへ相談に行き、色々とお話を伺い、不妊治療のスケジュール表を次回に受け取ることで話が決まったのはすぐその後です。
スケジュール表を受け取りに行った折、検査をして頂きました。
なんと私、妊娠していたのです。
担当の医師も呆れ顔で、「記念にこのシュケジュール表を持って帰ってください」と言って終わりでした。
赤ちゃんができるって不思議ですね。

お話を聞いた後、つわりの治療をして体調を整えました。
何回か治療をした後、A国へお帰りになりました。赤ちゃんは双子でした。

当院での不妊治療(安胎治療)は、受胎の為の治療ではありません。
女性が女性らしい体調へ戻る治療です。つまり普通の女性の体になれるようにするのが目的です。
普通の女性であれば自然に妊娠が可能であると考えるからです。その為の期間は普通に半年から1年もあれば十分であると考えます。

赤ちゃんがやって来てくれたお話(その1)

これはK市に住むKさんから私が直接に聞いたお話です。

Kさんがご結婚をされてしばらく経った頃、ふとなかなか子宝に恵まれないことに気付かれて、紹介を受け、K大学医学部病院の産婦人科へご夫婦で出向かれたそうです。
大学病院の先生の「奥様は、このままでは自然には妊娠できないでしょう」との診断、K大で不妊治療を受けるかどうかをご夫婦で大変に悩まれたそうです。

ちょうどその頃、「近所の婆さん」とKさんは仰いましたが、その方が「女の腰を冷やしてはいかん。しっかりと温めて、腰を押してあげなさい」と注意されたそうです。
これしかやってあげることのないKさんは、奥様の腰を温めて、毎日、一生懸命に指圧をしたそうです。
そして、大好きだった二人でのバイクツーリングを辞めてしまいました。
「バイクの後ろに乗せてのツーリングは家内の腰を冷やしますからね」と仰いました。

しばらくした後、いよいよ意を決してK大病院へ奥様は受診されたました。
そして驚くことに、なんと奥様は妊娠中なのでした。
「天下のK大ですよ。その大学の先生が自然には妊娠できないと言ったのですよ。それ以来、権威を信頼しないことにしました」とのKさんの言葉です。

今はお嬢様お二人を立派にお育てになって、奥様とお孫さん達に囲まれた生活を楽しくされています。